<令和6年5月12(日)>
暑過ぎもせず良い日和でした。
研究会の科目は「盆香合」「和巾点」「入れ子点」
ご指導くださいました業躰先生は、三代続く地元神奈川小田原の先生。
茶道が武将の嗜みであったころ、やはり上流階級のものだったのですよね。
木地の道具や竹の道具など、かつては使用が一回限りの消耗品を今は後生大切に使うわけです。
さらに一層けちけち精神(けちけち根性)の私は、、、他人様には実態を明かせません(恥)
初炭で水注ぎがあること、やかんの持ち方、建水の位置 他、今回も習慣で流してしまっている手続きをキチンと教えていただける貴重な研究会でした。
写真は、会場の光圓寺にある「英霊・戦没者 手向けの塔」です。
平塚は海軍火薬省があったために空襲があり、死者363人以上、重軽傷者268人、罹災戸数8269戸の被害で、全国各地の犠牲としては多いそうです。
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